ABOUT

<プロジェクト目的・概要>

 コロナ禍にて勃発したウクライナ侵攻とその後の混迷の中で、常に戦いの犠牲となるのは、日常を生きる市井の人々であることを改めて思い知らされる。それは同時に、広島、長崎への原爆投下や、激しい地上戦が展開された沖縄戦が伝える戦時期日本の歴史を想起させることに重なる。現在、終戦から70数年を経て、戦争体験者がいなくなっていく中で、アジア・太平洋戦争を巡る体験や記憶をいかにして継承することができるかについて、「ポスト体験時代」を生きる私たち一人ひとりに問われていることは間違いない。
 これまで、私たちが長崎、沖縄、水俣など各地を訪れる中で、その経験と記憶の継承、真の平和に向けて日々熱心に活動を続ける人々との出会いがあった。とりわけ心を打たれるのは、長崎で被爆した方々が「8月9日」を無事に共に迎えられた喜びを分かち合いながら再会する姿、すなわち被爆による苦悩を絶えずその心に抱き続けながらも人々が生きようとする生の営みである。その一方で、被爆後の社会を生き抜く中で味わう多層的な苦悩に苛まれながら、沈黙を貫かれる人々の眼差しに触れることもあり、それは被爆以後、原爆が今なお人間に何をなしつづけ、今日まで流れ続けているその時間の厚みを痛感させるものでもあった。
 そこで本プロジェクトでは、体験・記憶の継承に向けた各地での交流活動を通じて、特に次世代を担う学生たちの主体性に期待しながら、戦争・戦後体験の意味を問い、未来への展望を描いていくために、国境を越えた対話(グローバル・ダイアログ)と連帯への可能性を生活の次元から模索していきたい。すなわち、それは、私たちの生活の中で実感し、身体に刻み込まれた様々な経験や記憶の重みを踏まえながら、文化的背景の異なる人々も含めた他者と「共にある」という「生活者の思想的営為」を未来へと継承していく試みに他ならない。

<プロジェクト責任者>

三好恵真子(大阪大学人間科学研究科・環境行動学研究分野・教授)

<連携する学外団体名>

・城山小学校被爆校舎平和発信協議会
・つばさ~日中ハーフ支援会
・福島多文化団体「心ノ橋」
・いわき市中国帰国者連絡会

・大阪大学中国文化フォーラム
・大阪大学グローバル日本学教育研究拠点 拠点形成プロジェクト

 「21世紀課題群と東アジアの新環境:実践志向型地域研究の拠点構築」

<これまでの取り組み>

(1)中国文化フォーラムによる東アジアの国境を越えた学術交流の蓄積
 第二次世界大戦後の東アジア地域秩序の再編による歴史の重層性を踏まえながら、これまで三好恵真子を含む様々な部局の有志の教員により「大阪大学中国文化フォーラム」が2007年に組織化され、時代的要請に応えつつ地域研究のあるべき姿を積極的に示してきた。その主要な取り組みとしては、本フォーラムと中国南開大学歴史学院、台湾国立東華大学歴史学系、韓国ソウル大学校歴史教育科の各大学組織を中心とし、日本・中国大陸・台湾・韓国における国境を越えた学術交流である国際セミナー「現代中国と東アジアの新環境」(会議言語中国語)を十数年間にわたり主宰していることである。本フォーラムは、若手研究者の育成を基軸に息の長い人的交流を通じた対話の基盤を育みながら、優れた地域研究者を輩出しつつ、現代中国研究の拠点としての動態的な発展を遂げている。なお本フォーラムは、科学研究費や多様な外部資金獲得の学際的研究基盤としても機能している。

(2)グローバル日本学教育研究拠点・拠点形成プロジェクトにおける若手研究者育成の試み
 三好恵真子が代表を務める大阪大学グローバル日本学教育研究拠点・拠点形成プロジェクト「21世紀課題群と東アジアの新環境:実践志向型地域研究の拠点構築」の一環として、2022年にオンラインシンポジウム「この50年の歩みを共に振り返る―それぞれの出来事をいま振り返る意味」を開催した。本シンポジウムは、異なる専門領域の若手研究者たちが協働しつつ、沖縄返還や日中国交正常化等、戦後の節目となった1972年から半世紀の歴史を振り返ることで、コロナ禍やウクライナ侵攻後の混乱が続く中、いま私たち一人ひとりが考えてゆくべき事柄を分かち合うことを目指した。この成果報告として、ブックレットを年度末に刊行している。

(3)長崎城山小学校平和祈念館における実践家との交流活動並びに未来への作品づくり
 私たちの環境行動学研究室では、長崎の被爆校舎を元に創られた城山小学校平和祈念館へ2020年から訪問しており、原爆体験の継承活動への理解を深めると共に、相互交流を重ねてきた。爆心地周辺には城山小を含め今も原爆遺構が各所に残り、それらは行政だけでなく、地域住民が大切に守ってきたものである。申請者らは、継承活動に携わるボランティアと共にこれらの遺構を実際に歩く中で、中世の開港以来、海上交易を通じ諸外国と密接に結ばれ、近世にはキリシタン禁制も経験しつつ今日まで発展してきた、海港都市としての長崎の重層的な歴史へと地平を広げてきた。こうした現地での交流活動で得た知見を踏まえ、特に申請者らは、長崎に生きる被爆者を撮影し続けた写真家、東松照明の足跡より浮かび上がる、戦後の長崎の暮らしの実相に関する論文も幾つか発表し、また写真等の作品も公開している。

(4)結婚移民として日中「二つの東北」を生きる中国人女性の歴史実践
 私たちの環境行動学研究室では、日中「二つの東北」を生きる中国人女性との交流を通じて、彼女らに歴史実践の重要性に気づかされた。すなわち、「満洲」の記憶を引き継ぐ中国東北地方出身であり、国際結婚によって日本東北の福島県に移住する中国人女性たちが、移住後、中国残留日本人の支援ボランティアに関わり、一世や二世、またその中国人家族を家族のように支えていた。さらに東日本大震災を機に始まった地域支援や日中交流活動といった支援活動を熱心に行っており、そうした活動に申請者らはボランティアとして参与しながら彼女らの生身の人生の語りに耳を傾けてきた。彼女らが、移住直後における言語の壁や社会分断という課題を徐々に適応しつつ、このような日常の活動の営みが、ナショナル記憶にも対応させつつ、自らの個人的記憶を形成していく過程において重要な役割を果たしていることが見えてきた。関連論文においても幾つかまとめている。

(5)自然と共存するアジア的理性創出のための民間の連帯
 私たちの環境行動学研究室では、1996年より続く「水俣展」を元に立ち上げられた水俣フォーラムや、かつて水俣病被害者家族が自ら設立した記念館から自立した水俣病センター相思社を訪問しており、水俣病の経緯や当事者の体験と曲折から、「奇病」と言われた時の彼ら彼女たちの恐怖や、水銀中毒の判明後も排水停止措置を取らなかったチッソへの怒り、また共同体の親密関係をも寸断している様相などに衝撃を受けた。しかし、上記の経験にも関わらず、環境危機は韓国、中国を含む、全アジアにまで蔓延し、相対的かつ複合的な原因への究明と対応が求められる一方、特に東アジアは欧米先進国のキャッチアップによって、経済発展と環境保護の両立がより厳しい状況にあると考えられる。そこで、申請者らは民間の力である環境NGOの活動に着目し、彼らが人間中心主義の欠点を超え、アジア的「理性」を創出しながら「自然」と共存する方法をいかに模索し、考えているのかに学びつつ、さらには国境を超えた民間の知的交流の内実を豊かにしてゆくことを試みている。関連論文においても幾つかまとめている。