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被爆から79年を迎えた今年も8月9日に合わせて「記憶の継承ラボ」の院生メンバーが長崎を再訪し、私たちの活動をいつも支えて下さっている現地の実践家の方々との対話と交流の機会を頂きました。以下は、長崎でのフィールドワークに参加した環境行動学研究室M2の姜星羽さんによる報告です。是非ご覧下さい。
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長崎でのフィールドワークの三日間、城山小学校、平和公園、浦上天主堂など、原爆に関連する歴史的な場所を訪れ、城山小学校の平和祈念式典に参加し、原爆資料館と長崎人権平和資料館などを見学しました。特に、城山小学校平和祈念館の山口政則さんと松尾眞一郎さんのご紹介のおかげで、原爆や長崎について深く学ぶことができました。以下は、現地での体験を踏まえて自身の考えをまとめた感想です。
長崎に足を運ぶことにより分かってきたこと
長崎に行く前に、長崎や城山小学校についてある程度理解していたつもりでしたが、フィールドワークを通じて、より立体的な長崎の姿を感じることができました。さまざまな場所に存在する原爆遺跡や、そこで行われる活動が、原爆とその影響の多面性を浮き彫りにしています。これらの多面性は、いくつかの具体的な課題として現れ、同じ場所でも複数の視点が存在することがあります。たとえば、城山小学校で行われている多様な活動が印象的でした。平和公園では、山口さんの紹介を通じて、原爆における中国と朝鮮からの強制労働者の被害の歴史にも目を向ける重要性を感じました。原爆資料館では、スタッフの方から女性の被爆者が身体検査で経験した辛さについての説明を聞き、改めてその苦しみを思いました。さらに、長崎大学の先生との交流を通じて、核兵器の問題や戦争について深く考え直す機会となりました。つまり、すべてが原爆によって終わったかのように見えますが、その瞬間は決して静止しておらず、時間が流れる中で、その記憶が現在へと引き継がれています。
こうして、異なる時代の長崎の姿もまた捉えることができました。フィールドワークの中で、さまざまな場所で常に頭に浮かんできたのは、かつてここで起こった出来事や、その場所で示されようとしている過去の出来事でした。これらの時間を超えた認識が、長崎の歴史を時間軸に沿って理解できます。展示されている遺物や、熱線で石に残された跡を通じて、原爆の威力を実感しました。原爆の爆心地を見下ろし、実際に歩いてみることだけでは、当時一瞬で多くの命が奪われた悲惨さを想像することが難しいと感じました。こうした遺物を目にし、受け止めながら、原爆の影響だけでなく、さらに長い過去にも目を向けることができました。城山小学校の歴史は1923年にさかのぼり、さまざまな変遷を経ており、原爆以前の歴史も当時の社会の変遷を反映していました。被爆後の学校の再建の過程では、原爆による傷を忘れずに記憶しながら、日常の学校生活に戻っていく姿も見て取れました。
まとめると、長崎は私に「厚み」を感じさせてくれました。異なる時代の異なる課題がここで交錯し、考えさせられます。外部から訪れた私たちにとって、すべての思いや考えが深く完璧というわけではありませんが、それらが与えてくれる感覚は力強く、目の前のすべてがその背後にある深い背景へと遡ることができるように感じられます。これが、留学生であり大阪から訪れた私が長崎に短期間滞在した後の感想です。次に、主観的な感想に加え、長崎の環境が与える共感について考察したいと思います。
絵画を通じた表現
城山小学校や原爆資料館には、被爆者が描いた原爆に関する絵が数多く展示されています。以前、大阪のピースミュージアムを見学した際にも、空襲の当事者が当時の情景を描いた絵に深い印象を受けました。言葉や文章とは異なり、絵に使われる線や色彩は、より直接的な衝撃を受け、見る人に災害を体験した人々の心情を伝えることができます。必ずしも高い技術を持った絵ではないかもしれませんが、むしろその技術がないからこそ、感情がより強く表れているのかもしれません。見る者として、これらの素朴な絵を見ると、描いた人の年齢や国家を忘れ、ただ彼ら彼女たちが災害に直面したときの無言の大きな苦しみを感じます。
被爆者自身の体験を描いた絵だけでなく、現代の人々による原爆に関する作品も見ました。松尾さんは毎年、絵を通じて原爆への思いと被爆者の追悼を表現しています。また、原爆の中心地の近くには、各国が平和を祈るために描いた絵もあります。松尾さんがおっしゃったように、絵はその時の気持ちを記録することができ、現場から離れてもその絵を見ることで、当時の感情を思い出すことができます。絵を見た人々も、その絵に共鳴する部分を通じて、当時の自分の気持ちを覚えることができるのです。
日常における伝承
長崎で最も印象に残ったのは、城山小学校において、現在の小学校と原爆遺跡が相互に融合している様子です。「特別な場所で特別なことをするのが普通です」という言葉が、城山小学校を理解する鍵かもしれません。大人であれば、選択する権利があるかもしれませんが、子供たちはなぜその選択の結果としての苦しみを負わなければならないのでしょうか。小学校の遺跡を見学していると、原爆で無数の罪のない子供たちが命を失ったことを考え、さらに胸が痛みました。しかし一方で、子供たちはただ守られるべき弱い存在ではなく、教育によって大きな力を持つ存在でもあります。子供たちに対しては、何をすべきかを教えるのではなく、どうすべきかを考える力を育てるべきです。それでは、城山小学校の子供たちは、どのようにしてこの思考する力を授けられているのでしょうか。その答えは、儀式にあるのではないかと思います。
城山小学校の生徒と教職員は、登校時や下校時に少年平和像に向かってお辞儀をします。最初は、このお辞儀は拝礼の意味であり、子供たちにとっては重すぎる活動ではないかと思いました。しかし、二日間の見学と祈念式典への参加を通じて、お辞儀が心からの行動となっていることに気づきました。城山小学校の教育は、日常の中で戦争や平和についての思考を少しずつ積み重ねていくものなのかもしれません。
以上が、今回のフィールドワークに対する私の感想です。戦後の復興や原爆とフェミニズムの問題など、まだ細かな考えが多くありますので、もし機会があれば、さらに深く学びたいと思います。(環境行動学M2・姜星羽)